【法律学の基礎】 「趣旨」と「機能」 ――弁論主義と関連して
民訴の中でも特に重要な概念と言えば、処分権主義と弁論主義である。
今日は、その弁論主義に「関連した」話。
まず、定義から述べると、
弁論主義とは、「判決の基礎をなす事実の確定に必要な資料の提出を当事者の権能と責任とするたてまえ」を言う。
(新堂幸司『新民事訴訟法〔第3版〕』〔弘文堂、平成16年〕395頁より抜粋)
また、この弁論主義は3つのテーゼを包摂していると考えられており、その第1テーゼは「裁判所は、当事者の主張しない事実を裁判の資料としてはならない」というものである。
そして、この弁論主義の根拠については学説上、激しい争いがあり、私的自治説(本質説)、手段説、多元説などが主張されている。
このうち、私的自治説が伝統的通説であり、そのため、予備校の教材などでは私的自治説を前提とした解説や論証が載せられていることが多い。
ところが。
この解説や論証に、ややミスリーディングな表現――より攻撃的に表現すれば、論理的に間違っている表現――が用いられていることが少なくない。
また、その結果、このようなミスリーディングな表現を用いた学生の答案例も少なくない。
では、その「ミスリーディングな表現」とは何か?
具体的には、次のような表現である。
「弁論主義の趣旨は不意打ち防止にあるから……」
このような表現は、ミスリーディングである。
少なくとも、このような表現を不適切であると考えておられる有力な先生が存在する。
例えば、神戸大学名誉教授の鈴木正裕先生は次のように述べられる。
「不意打ち防止の要請は……きわめて重要な役割を果たしており、弁論主義との結びつきには強いものがある」。
「しかしそれは……弁論主義のもとでは当事者の主張しない事実は裁判の資料として採用されないという命題が妥当しており、当事者がそう信じ込んでいる期待を裏切らないために、不意打ち防止の要請が働いてくるのである」。
「すなわち、弁論主義が採用され、上記の命題が妥当しているために、不意打ち防止の要請が働いてくるのであり、不意打ち防止の要請が先にあって、その結果として弁論主義が導かれてくるのではない。それでは、本末転倒も良いところである」。
(以上につき中野貞一郎ほか編『新民事訴訟法講義〔第2版〕』〔有斐閣、2004年〕187頁注6)より抜粋)
そもそも、「趣旨」とは「存在目的」のことである。
換言すれば、当該規定が何のために置かれているのか、を説明するのが趣旨論である。
端的に言えば、「○○条は…………のために置かれている」と言う場合の「…………」の部分が趣旨である。
そして、上記の鈴木先生の指摘からも分かるように、「弁論主義は不意打ち防止のために置かれている」のではない。
つまり、不意打ち防止は弁論主義の「機能」であり、弁論主義が置かれた「結果」である。
そのため、「弁論主義の趣旨は不意打ち防止にあるから……」はミスリーディングなのである。
もし、私的自治説に立つのであれば、弁論主義の趣旨は裁判の資料に関する当事者の自主性・自立性の尊重にある、はずである。
そして、当事者の自主性・自立性を尊重した結果として、弁論主義は不意打ちを防止するという機能を果たしているのである。
答案を書く際や、基本書などを読む際には、論理的な順番を是非、意識して欲しい。
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