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2006年6月 4日 (日)

【法律学の基礎】 学説の選択・その2

前回の記事で、リーガル・マインドを「法的に説得力に富む論理を構築する能力」と定義した。


ところで、「法的に説得力に富む」ものとは一体何であろうか?


これは、恩師・佐久間毅先生から繰り返し指導されたことだが、法曹にとって最も説得力がある(=権威がある)ものは、条文である


条文こそが、最高の権威なのである。


裁判所の違憲審査権を度外視すれば、法曹は、皆、この条文に従わねばならない
どんなに偉い先生、例えば我妻先生のご見解であろうと、もし条文に反していれば、それは法的な説得力に欠けるのである(我妻先生のご見解が条文に反していることは通常考えられないが)。


換言すれば、条文から離れた見解は立法論であっても、解釈論ではないのである。

以前、この投稿で引用した、東大の中山信弘先生の言葉にあるように「法解釈とは、原則として法の予定した範囲内で、最良の解を求める作業」なのである。


閑話休題。
結局、法的に説得力に富む学説とは、条文との距離が「近い」学説である
端的に言えば、


「この条文に、こう書いてあるじゃないですか」


と主張できる見解こそが法的な説得力に富む見解である。
何故ならば、その見解は、最も法的な説得力を有する文献である「条文」にその根拠を有するからである。


勿論、実際の解釈論は、こんなに簡単ではない。


むしろ、「この条文に、こう書いてあるじゃないですか」と簡単に言えないからこそ、各学説は、文理解釈、目的論解釈、論理的(体系的)解釈、沿革的解釈、比較衡量などの様々なテクニックを用いて自説の説得力を増加させようと努力しているのである。

また、単なる論理の問題ではなく、結論の実際的妥当性や判例との整合性を保つ必要性もある。


そして、普段の勉強・学習で為すべき「学説の選択」とは、各学説が様々なテクニックを用いて主張する自説の根拠が本当に正しいものなのか、結論は妥当なのか、判例との整合性はとれているのか、を検討した上で行われるものである


この検討の中で養われる作業こそがリーガル・マインド――「法的に説得力に富む論理を構築する能力」――である。



前回の投稿で「答案に書きやすいから」、「判例・通説」だから、という理由だけで学説を選択してしまうとリーガル・マインドが養われない、と述べたが、その理由はここにある。

つまり、「書きやすさ」や「判例・通説」に盲目的に従うと、このような検討作業が為されないため、リーガル・マインドが養われないのである。


勿論、この検討の際には「答案の書きやすさ」も忘れてはならない。

陳腐な表現で申し訳ないが、やはり、最終的にはバランスが重要であり、試験を控えた身である学生の勉強としては、中庸を目指すべきである。


ちなみに、京大の山本敬三先生が学部の講義で昔、仰っていたことだが、学部生の場合、普段の勉強はじっくり考えて、試験前に、その情報を使えるように改めて整理することが重要である。
この勉強方法は、バランスのとれた良い勉強と言えるのではないか。

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