【手形法】 手形行為独立の原則と裏書
新司法試験では余り重要ではない(?)が、旧司法試験では依然として出題される可能性がある(?)手形法。
今日は、その手形法の話。即ち、手形行為独立の原則と裏書についての話。
■定義
手形行為独立の原則とは、 同一手形上の各手形行為はそれぞれ独立して効力を生じ、 その論理的前提となった他の手形行為の実質的効力の有無の影響を受けないという原則を言う。
裏書とは、裏書とは、 手形債権を譲受人に譲渡する旨の譲渡人の意思表示を手形に記載し、 その手形を譲受人に交付することによって成立する指図証券独特の譲渡方法を言う。
■問題の所在
本稿のテーマである「手形行為独立の原則と裏書」――「手形行為独立の原則は裏書にも適用できるか?」、 「裏書には手形行為の独立性は認められるのか?」――という論点は、とても有名な論点でどの基本書にも載っている、と言っても過言ではない。
ところで。
何故、このような論点が発生しているのか、 問題の所在は分かるだろうか?
つまり、手形行為独立の原則を裏書に適用することができるか?という論点は一体どこから発生しているのだろうか?
私は、初めて手形法を学んだ頃、この問題の所在が分からなかった。
裏書も手形行為である以上、当然に「手形行為」 独立の原則は適用されるのではないか?と思ったのである。
そして、今から思えば、実は、そのような考え方は決して「全面的な大間違い」という訳ではない。
何故ならば、現在の学説は、理論構成の違いこそあれ、裏書に対する手形行為独立の原則の適用を肯定するからである。
つまり、結論としては間違っていない。
では、何故、このような論点が存在し、かつ、基本書に掲載されているのだろうか?
結論から言えば、実質的理由の1つは、かつて、田中耕太郎先生(元最高裁長官、元東大教授)や、大隅健一郎先生(元京大名誉教授) のような大御所が裏書に対する手形行為独立の原則を否定していたという点にある(勿論、これらの大先生が適用を否定されたのにはちゃんとした理論的な理由があるが、 正確に説明するとやや長くなるので、以下では簡単に説明する)。
例えば、田中先生は大要、次のような論理――当然説と法定責任説――で、裏書に対する手形行為独立の原則の適用を否定された。
そもそも、裏書の本質は債権譲渡であり、裏書の担保的効力は債権譲渡 (権利移転)としての裏書が有効なことを前提として生ずる法定の担保責任である (やや特殊な法定責任説。第1の理由)。
何故ならば、裏書においては権利移転的効力が本質であり、担保的効力は副次的なものである以上(手形法15条1項参照)、担保的効力は、 権利移転的効力が認められて初めて発生するものと考えられるからである。
つまり、裏書の担保的効力は、その論理的前提となった他の手形行為に実質的効力が無ければ(=無効であれば)、その影響を受けると考えられる。
よって、実質的効力の影響を受ける以上、手形行為の独立性は認められない。
とは言え、もし、7条の効力が法によって特別に付与されたものであれば、実質的効力の影響を受けようが受けまいが、 手形行為の独立性は肯定されることになる。
しかし、手形行為独立の原則は書面を通じた意思表示という手形行為の本質に基づいて生ずる当然の結果であると考えられる (当然説。第2の理由)。
故に、裏書には手形行為の独立性は認められない。つまり、裏書には手形行為独立の原則の適用は無い。
■現在の学説
現在では、上述の第1の理由(有効な権利移転を前提とする法定責任説)と、第2の理由(当然説)を共に採用する立場はほとんど支持されていない。
つまり、いずれか一方を否定する見解が多いのである。
そして、裏書に対する手形行為独立の原則の適用を否定するためには、上述の2つの理由を共に採用する必要がある。
そのため、上述の2つの理由のいずれか一方を否定する現在の多数説は、裏書に対する手形行為独立の原則の適用を肯定しているのである。
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