【民法・手形法】 表見代理と権利外観法理・その2
前回の続きで、最判昭和36年12月12日民集15巻11号2756頁を素材にした、表見代理と権利外観法理についての話。
Y
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A ―→ B ―→ C ―→ X
前回引用したように、最高裁はこの事案において、Xは民法110条に言う「第三者」ではないとして同条の適用を否定した(ちなみに、本人はA、無権代理人がB、相手方がC、転得者がXという法律構成であった)。
では、「第三者」の意義について判例の立場(限定説)に立ちつつ、他の表見法理・権利外観法理を利用してXを保護することはできないのか?
(尚、厳密に言うと、権利外観法理と表見法理は別物だが、本稿ではとりあえず同じものとして、以下では「権利外観法理」という用語で統一する。両者の差異については、山本敬三『民法講義1〔第2版〕』〔有斐閣、2005年〕141頁参照)。
結論から言えば、理論的には、権利外観法理を適用してXを保護することはできるだろう。
但し、ここで言う権利外観法理は、一般に手形法で言われている権利外観法理とは異なる。
即ち、手形法で一般的に言われている権利外観法理では、その帰責性として、少なくとも手形の作成・署名が必要であるとされている(学説の状況については、例えば、田邊光政『最新手形法小切手法 <四訂版>』〔中央経済社、2000年〕69頁参照)。
そして、この内容の権利外観法理では、Xを保護することは特段の事情が無い限り、無理だろう。
何故ならば、この内容の権利外観法理によれば、本人たるAの帰責事由としてAの署名、またはAによる手形の作成が必要であるところ、本件ではそのような事情は見当たらないからである(この理は、2chの某スレでも的確に指摘されていた)。
しかし、たとえ手形法の議論と言えども、権利外観法理を、常にこの内容に限定して理解しなければならない訳ではあるまい。
何故ならば、「手形のごとき一般公衆の間を転輾する流通証券にあっては取引安全の要請にもとづく善意者保護のために、一方において、相当な事情にもとづき或る外観に〔原文ママ〕信頼した者に対しては、その信頼どおりの保護を与える」理論こそが権利外観法理であって、論理必然に署名・作成が要求される訳ではないと考えられるからである(大隅健一郎『新版手形法小切手法講義』〔有斐閣、1989年〕47頁)。
確かに、交付契約説を採用するのであれば、権利外観法理においても「交付契約があったと認むべき外観」と「この外観を作り出すことに原因を与えた責任(帰責事由)」が探究されるべきである(前掲・大隅46頁参照)。
そして、多くの場合、交付契約が適法に為されたことを示す手形上の事情(外観)は署名・作成しかなく、それ故に、署名・作成こそが帰責事由に該当する。
だが、やはり、「交付契約があったと認むべき外観……を作り出すことに原因を与えた責任」は、署名・作成には限られまい。
つまり、自ら署名・作成こそしていないものの、署名・作成と同視できるような帰責性が認められる場合には「交付契約があったと認むべき外観……を作り出すことに原因を与えた責任」という要件を充足するはずである。
例えば、記名捺印による署名をしようと思えばいつでも容易に実行できたような状況を作り出し、かつ、それを長年放置していた場合には、「交付契約があったと認むべき外観……を作り出すことに原因を与えた責任」が認められるはずである。
本件では、長年放置していたか否かの事情が必ずしも明らかではないが、もし放置していたのであれば、権利外観法理――または民法94条2項類推適用――によって、Xは保護される余地があろう。
それでは、このような処理、即ち、表見代理の「第三者」の意義について直接の相手方に限るという見解(限定説)を採りつつ、同時に権利外観法理を採用するという立場は論理的に整合的なのか?
つづく
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