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2006年7月26日 (水)

【余談】 法学研究者という職業

このブログを御覧になる方で、研究者を志望されている方がどの程度おられるかは知る由も無いが、 研究者志望であればお読みになられた方が良いと思われる記事が、伊藤先生のブログに掲載されている。


July 26, 2006 「私の履歴書」風
http://blog.livedoor.jp/assam_uva/archives/50526682.html

July 24, 2006 法科大学院から博士課程・助手へ
http://blog.livedoor.jp/assam_uva/archives/50525171.html



ところで、話は変わるが、大阪大学の安田拓人先生が、最近、 『刑事責任能力の本質とその判断』という本を出版された。




安田先生は、京大の中森先生のお弟子さんであるが (従って、今では少数派の、行為反価値の先生である)、 同書によると、安田先生が大学院へ進学されたとき、中森先生から、法学の研究者であるためには天才である必要は無い、 との旨を伝えられたそうである。


個人的には、中森先生らしい――シニカルではあるが――温かい言葉だと思う。


確かに、有名な法学者の先生方は「天才」型であることが多い。
現に、中森先生自身が、他の京大法学研究科の先生方から「頭が良い」と言われる程の人物である。


しかし、「天才」であることは、少なくとも法学の研究者であることの必要条件でも十分条件でもあるまい(数学などの分野では必要条件なのかもしれないが)。


大切なことは――陳腐な表現で恐縮だが――学問への情熱である。
自分の一生をその学問に捧げることができるか、否かである(余談だか、 川島武宜先生は、ご著書の中で法学は「男子一生を捧ぐもの」に値する旨を述べられていた)。


勿論、研究者であるためには、一定程度の能力が必要である。


卑近な表現をすれば「頭が良いこと」はある程度必要である(私の場合、諸事情により、東大・京大の助手や、京大の博士課程在籍者と面識があるが、 彼らは間違いなく世間で言う「頭が良い」人間である)。


しかし、どの職業であっても、何かしらの要素は必要になるのであって(例えば、人間嫌いな人は営業職には相応しくあるまい)、研究者の場合は、 その要素がたまたま「頭が良いこと」であるに過ぎない。

また、そもそも、一定程度の能力があれば足りるのだし、最初から万全の能力を備えている人間など滅多に存在しない。


もし、研究者になりたいのであれば、自分の能力不足を恐れずに勉強に打ち込むべきである。


「やれはできる」かどうかは分からないが、「やらなければできない」ことは確実である。
勉強しなければ、研究職には就けない。


研究職


私自身は、研究者ではないが、この職業は一生を捧げるに値すると思う。


もし、生まれ変わる機会があるならば、研究者になりたい。時々、そう思う。

駄文失礼。

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コメント

大人になったらなりたいものの調査で学者・博士が男の子の1位になったようだ。

学者・博士が子供の憧れとなっていることは素直に嬉しい。

やはり京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥博士や東京工業大学栄誉教授の大隅良典博士がノーベル賞を受賞したことが大きいのではないだろうか。

現在ほど学者・博士や研究者が憧れの対象となったことはあっただろうか。学者・博士や研究者と呼ばれる人間にとっては誇らしいことであろう。

だからといって学者・博士や研究者が選民意識・特権階級意識で自己過信・自己慢心に陥っては全てが台無しである。

自己過信・自己慢心を捨て、公私ともに謙虚な姿勢で日々を過ごすよう身を引き締めていきたい。少なくとも、学者・博士や研究者を目指す子供たちに恥ずかしい言動はしたくない。

投稿: 元気モリモリたろう博士(Ph.D.GENKIMORIMORITARO) | 2018年1月 8日 (月) 09:06

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