【余談】 「会社法であそぼ。」のインパクト
先日、葉玉先生が異動に伴って 「会社法であそぼ。」から引退される旨をお伝えしましたが、それに関連した記事を幾つかご紹介致します。
ふぉーりん・あとにーの憂鬱: 葉玉さんの引退宣言
http://www.ny47th.com/fallin_attorney/archives/2006/10/01-183203.php
いとう Diary ~ academic and private:立法担当者の Blog
とどう付き合うか
http://blog.livedoor.jp/assam_uva/archives/50587153.html
以下、余談です。
葉玉先生のブログが本当に「影響」を持つか否かは、今後の裁判所の判断に掛かっています。
勿論、裁判所が判断を示すまでに、葉玉先生の解釈が「立法担当官」という現実的な通用力によって、実務に深く浸透してしまい、 それを裁判所が追認せざるを得なくなるという可能性もあると思います。
しかし、もし、それが不都合であるならば、そのときこそ「学説」 が説得的な議論を示すべきではないのでしょうか。
47th先生も指摘されていますが、確かに、クライアントの利益に鑑みると、裁判所の判断が示されるまでの間は、 実務家は微妙な問題については葉玉先生のご見解に従うこともあるでしょう。
その場合、実務家からすれば、立法担当官という「肩書き」があるからこそ、葉玉先生のご見解に従うということもあるかもしれません。
そして、そのような行動が多数の実務家によって行われれば、実務のデフォルト・ルールになる可能性も充分にあります。 「会社法であそぼ。」に対しては、この「弊害」が指摘されることもあります。
ですが、会社法改正というこの変動の時期においては、「巧遅は拙速に如かず」 、です。
この観点からすれば、葉玉先生の「会社法であそぼ。」は、 立法担当官の見解が迅速に分かるという点で非常に有意義な存在だったと思います。
もっとも、葉玉先生のご見解に対しては、「拙速だ」、「権力を振りかざすな」という批判が主張されることもあります。
確かに、それは的を射た批判ではありますが、意味のある批判とは私には思えません。
そのような「泣き言」を言っている暇があれば、説得力のある議論・学説を展開させるべきではないでしょうか。
幸いなことに、法学の世界では「巧遅」にも――本当に「巧」であれば――逆転の可能性は充分にあります。
以上、自戒を込めて。駄文失礼。
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コメント
TBありがとうございます(TBがなかなか受け付けられなかったようで申し訳ありません。サーバーなのかMT側の問題なのか分からないのですが、最近とみにレスポンスが悪いようです。どうかこれに懲りずに今後とも宜しくお願いいたします)。
仰るように、(立法担当者にも学者の方の両者にぶら下がって仕事をしている身としては大変僭越な言い方だとは思うのですが、)立法担当者解釈に対する需要の高さは、日々実務で生起する問題に対しての学界の対応という面からも考える必要があるのだろうと思います。
他方で、最終的には裁判で定めるとはいうものの、立法担当者解釈と正反する見解を基に訴訟を提起することは原告側にとってはハードルが高く、裁判自体に持ち込まれない=司法判断を得られる可能性自体も低くなるという面もあるので、そうした面での影響力ということについては慎重に考える必要もあるのかなという気もします(特に「○○は会社法上禁止されていない」という方向の回答は問題は少ないのでしょうが、「(条文上明確ではないが)○○はできないと解すべきである」「○○については▲▲であると解すべきである」といった部分については、影響が大きいものがあります。)
投稿: 47th | 2006年10月 4日 (水) 02:28