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2006年11月23日 (木)

【余談】 教えるとは教わること

誰のお言葉かは失念してしまったのですが、以前、「教育とは共育である。教育では、 生徒や学生だけが育てられるのではない。教師もまた生徒や学生に育てられるのだ」という趣旨の発言を、 どこかで目にしたことがございます。

 

私は専業の教師ではないので、上記の発言が直接妥当するわけではありません。

 

 

ですが、何かしらの知識や情報を教える――というのも傲慢な言い方ですが――と、確かに、自分の知識や情報が整理されたり、 理解が深まったりすることがあります。

 

そして、同趣旨の経験――即ち、 自己の知識や情報を外部に伝達する過程で自己の知識整理や理解深化が発生するという経験――は、 様々な形で多くの人々に経験されているようです。

 

 

例えば、野口悠紀雄先生は次のように述べられています。

 

「実際、本を書くことの最大のメリットは、 書いている途中で発見があることだ。あるいは、それまで漠然と考えていたことを、はっきりと意識することだ。『知らないことがあったら、 本を書いてみよ』と言われるほどである(教えることも、 同様の効能をもつ)」 (野口悠紀雄 『「超」文章法』〔中央公論新社、2002年〕5頁)。

 

 

また、私の愛読ブログ 「フィールドノート」の筆者である大久保孝治先生も次のように述べられています。

 

「書くという行為は、 頭の中にすでに存在する文章を紙に書き写すことではない。そうではなくて、 頭の中にあいまいに存在する思考に明確な輪郭線を強制的に施すことによって、それを可視化し、再考することなのである」

 

 

「つまり書くことは考えることなのである。 考えることの一つの有力な方法が書いてみるということなのである。同様に、読むことも考えることの一つの有力な方法である。 本を読むことは本に書かれている文章を頭の中にコピーすることではない。可視化された他人(著者) の思考を理解しようとすることを通して自分自身の思考を刺激することである。何も考えずに本を読むことは不可能である」

フィールドノート 2006年9月9日
http://blog.goo.ne.jp/ohkubo-takaji/d/20060910

 

 

ここまで書いて思い出したことがあります。

それは、私の指導教官であったS先生から賜ったご指導です。

 

 

S先生からは多くのことを教わりましたが、その1つに、「勉強する際には友人達と議論なさい」 というものがありました。

 

 

以前、別の記事でも述べたことですが、 自分の意見や論理を説得的に他人に説明するということはとても難しいことです。

そして、自分の意見や論理に理解が不充分な部分があると、すぐに表面化します。

 

つまり、自己の改善すべき点が明らかになるという意味で友人達との議論はとても有益です。

しかも、友人の手前、自分の不充分な意見を何とか正当化しようとする過程で、思わぬ発想を得ることも少なくありません(笑)。

 

 

まさに、教えるとは教わることなのだな、と思います。

 

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