【民法】 履行遅滞に基づく填補賠償請求について
今日は、先日質問を受けたので、履行遅滞に基づく填補賠償請求について、一言。
但し、この議論の「根は深い」ので、 興味を持たれた方は体系書や論文集などをお読み頂きたい。
例えば、潮見佳男『債権総論〔第2版〕 I 』(信山社、2003年)361頁以下(特に364頁以下)、森田宏樹「売買契約における瑕疵修補請求権」同『契約責任の帰責構造』 (有斐閣、2002年) 221頁以下(特に、253頁以下)、およびそこに挙げられている諸文献を参照して頂きたい。
■定義
填補賠償とは、「債務が履行されたのに等しい地位を回復させるに足りるだけの損害賠償 (例えば、物、滅失による履行不能における物の価格に等しい額)」を言う (平井宜雄『債権総論〔第2版〕』〔弘文堂、平成6年〕70頁)。
■問題の所在
債権者は、債務者の履行遅滞を理由として、いきなり填補賠償を請求することができるか?
即ち、遅延賠償ではなく、填補賠償を、それも契約の解除などをすることなく求めることができるのか?
契約を解除しないのであれば、契約の効力が維持されている以上、 遅延賠償請求+履行請求をすれば債権者は満足を得られるのではないか?
むしろ、填補賠償を請求したいのであれば、 契約の効力を解除によって消滅させる必要があるのではないか?
以上の事項について、条文上明らかではないために問題となる。
■判例
この問題について、大判昭和8年6月13日民集12巻1437頁は、次のように述べた(句読点、 段落分けは引用者による)。
「債権者ト雖履行ニ代ハル損害賠償ハ漫ニ之ヲ請求スルニ由無シ。
其ノ之ヲ請求シ得ル場合ノ一ハ他無シ。
債務者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因ル履行不能ノ場合即是ナリ。
此場合ハ上述ノ如ク、本来ノ債務ハ当然金銭的賠償ノソレニ変更セラレ固ヨリ何等ノ意思表示ヲ要セス。否、 要ト不要ハ始メヨリ問題ト為リ得サルナリ」
「然ラハ、則チ本旨ニ従フ履行ノ尚可能ナル限リ夫ノ債権者ナルモノハ依々便々只管其ノ履行ニ俟タサル可カラサルカ、 斯ルハ却テ其ノ堪ユルトコロニ非ス。
於是カ債権者ノ為メニ一ノ便宜ヲ与ヘサル可カラス。
便宜トハ如何。
曰、債権者ハ先ツ相当ノ期間ヲ定メテ履行ヲ催告シ、其ノコレ無キニ及ヒ債務者ニ対シ一ノ意思表示ヲ為シ、 爾今以後本旨ニ従フ履行ハ最早之ヲ受ケス、唯履行ニ代ハル損害賠償ヲ得テ甘ンセンノミト言明スルトキハ、 茲ニ始メテ当初ノ債務ハ其ノ態様ヲ金銭的賠償債務ニ更ムルニ至ルトスルコト即是ナリ」
最後の文章に示されているように、結局、大審院は、「相当期間を定めて履行を催告し、 その期間内に履行がされない場合には、債権者は履行を拒絶して填補賠償を請求できる」(前掲・潮見365頁)と判断したのである。
そして、この判決は、少なくとも現在まで変更されていない。
従って、債権者は、催告さえすれば、 債務者の履行遅滞を理由として填補賠償を請求することができる、という立場が判例の立場であると考えられる。
■伝統的通説
他方、学説では、上記判決の立場を支持する見解も主張されたが(我妻説、近江説など)、 反対する見解の方が伝統的通説であろう。
即ち、現行法では解除と損害賠償は二者択一の関係にはなく、解除権を行使した場合でも損害賠償を請求することができる (545条3項)。
従って、「契約上の債務の履行遅滞の場合には……契約を解除し、損害賠償および、 すでに債権者が自己の反対給付をしていたときはその返還(原状回復)を請求すれば足りる」。
つまり、敢えて「解除をせずに履行を拒絶した上で履行に代わる損害賠償を請求しうるものとする必要は、 契約上の債務については、ほとんど存しない」のである(以上につき、奥田昌道『債権総論〔増補版〕』〔悠々社、1992年〕138頁)。
従って、債権者は、債務者の履行遅滞を理由として、 いきなり填補賠償を請求することはできない、という立場が伝統的通説の立場であると考えられる
そして、この伝統的通説の立場は、同時に以下の2つの事項を含意している(前掲・ 潮見365頁参照)。
第1に、伝統的通説は、「履行遅滞における救済手段は原則として履行請求である」 と考えている。
何故ならば、伝統的通説は、履行遅滞の場合、履行請求は直ちに行えるが、填補賠償請求には解除が必要である、と考えているからである。
第2に、伝統的通説は、「履行不能になるか、契約が解除されるまでは、 債務者は履行を提供することができる」と考えている。
換言すれば、履行不能になるか契約が解除されるまでは、債権者は、債務者の本旨弁済を受領しなければならない、ということである。
何故ならば、伝統的通説は履行請求を履行遅滞に対する原則的救済手段と考えている以上、その裏返しとして、 債務者は履行をすることができるはずだからである。
■有力説
これに対し、近時の有力説は、伝統的通説を以下のように批判する。
例えば、東大の森田宏樹先生は、フランスの学説の示唆に基づいて次のように述べられる(前掲・ 森田258頁以下参照)。
(1) 契約上の債務は当事者双方に対して拘束力を有するが、 契約上の債務の履行請求の拘束力は2つに分類することができる。
(2) 第1は、債権者に対する拘束力である。
これは、「債権者はどの時点まで履行請求を選択しなければならないか、あるいは逆に言うと、 債権者はいつの時点から債務の履行を拒絶して損害賠償を請求しうるか」という問題である。
そして、この問題は、 「債権者が填補賠償を選択した場合に、債務者の遅れた本来の履行を認めるのが妥当なのはいかなる場合であるか」 という問題である。
(3) 第2は、債務者に対する拘束力である。
これは、「債務者はいかなる時点まで債権者の履行請求に拘束されるのか」という問題である。
そして、この問題は、いかなる場合に履行不能の抗弁が認められるかという問題とほぼ同義である。
以上の分析――鋭い分析である――を基に考えると、伝統的通説は、次のような価値判断を前提とする見解であったことが判明する。
即ち、伝統的通説は、債務者の履行が許される時的限界と、 履行不能の抗弁の発生時を一致させている。
繰り返しになるが、伝統的通説は、履行遅滞が発生しても、直ちに填補賠償を請求することはできず、履行請求が原則である、とする。
そして、履行請求が可能ということは、債務者にしてみれば、履行が許されるということである。
裏を返すと、債務者は履行不能に陥った時から履行が許されず(履行ができず)、 債権者はその時点から填補賠償を請求することができる、ということである。
|
| ……履行遅滞発生
|
| ↑
| |履行請求が原則
| ↓
|
| ……履行不能発生
|
| |
| |填補賠償請求が可能
↓ ↓
従って、伝統的通説は、かなり債務者の保護にあつい、と言える(履行不能が発生するまでは履行が可能なのだから)。
しかし、このようなに考えると、当然ながら債権者の利益を害することになるし、そもそも、 このように考えなければならない論理的必然性は無い。
そのため、
「債権者の有する契約上の債務の履行請求権は、債権者の契約上の権利であって義務ではないのだから、 それが可能である限り、債権者は履行請求を選択しなければならないとはいえないのではないか」(前掲・ 森田259頁)
「不履行に遭遇した債権者としては、債務者に対し履行請求権を行使することも、 填補賠償請求権を行使することも。原則として自由であるとの理解から出発すべきである」(前掲・ 潮見368頁)
という批判が主張されている。
では、翻ってどのような見解を採用すべきか、という問題については……各自で上記諸文献をご参照頂きたい(笑)。
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