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2006年11月12日 (日)

【刑法】 相当因果関係説についての覚書・その1

今日は、相当因果関係説について簡単に一言。

 

具体的には、(1)相当因果関係説における折衷説の論証に対する批判と、(2) 折衷説における介在事情の処理の仕方について、簡単に説明する(但し、 今回の記事では前者だけを取り扱う)。

 

ただ、以下の議論はあくまで、1つの見解の説明である。

つまり、この見解が絶対的に正しいとか、 他説が間違っているなどということを意味するものではない。

 

 

■はじめに

学生の方が、答案で相当因果関係説における折衷説を論証する際に、以下のような説明をされることがある。

 

「構成要件は違法・有責類型であるから……」

 

「行為は主観と客観の統合体であるから……」

 ちなみに、後者の説明は目的的行為論を採用されている福田平先生が主唱されたもので、 目的的行為論を採用しない論者が当然に用いることができる説明ではないはずである。

 

予備校では、現在でもこのような論証がされることが多い。

しかし、近時は、このような論証に対する批判が強い。

 余談だが、私は、学説上の批判が強いことと、答案で用いることの当否は一応別問題であると考えている。

 

 

■「構成要件は違法・有責類型であるから……」       という論証について

東大の佐伯仁志先生は、この論証を次のように批判される。

 

「構成要件を違法・有責類型と解したとしても、 因果関係は客観的構成要件に属する客観的帰属の問題であるから、このような理由付けは成り立たない」(佐伯仁志「因果関係(2)」法教287号49頁

 

簡潔にして要を得た説明であるが、私なりに換言すれば、以下のとおりである。

 

そもそも、折衷説は、構成要件が有責類型であることを理由に、 構成要件要素たる因果関係の概念の中に責任主義の考え方を導入する考え方である。

 

しかし、因果関係という概念の趣旨は、「客観的」に帰責範囲を限定するという点にある。

 

つまり、確かに、折衷説が主張するように、因果関係は構成要件要素である。

しかし、因果関係は客観的に判断すべきものである。

 

そうだとすれば、因果関係概念の中に責任主義の考え方を導入すべきではない。

 

ただ、私は、上記の議論は若干噛み合っていないのではないか、と考えている。

何故ならば、この論証の代表的論者である団藤先生は次のように述べられており、因果関係の判断が客観的に為されるべきであることは踏まえておられるからである。

 

折衷説の「弱点は……客観的であるべき因果関係の本質に反しないかということである。しかし、 われわれは構成要件が有責類型であることを想起しなければならない」

 

「すなわち構成要件は、 行為者に非難を帰することが定型的に可能とみられる事実の範囲を限界づける意味をもつものである」

 

「かように考えるならば、すでに客観的な条件関係があるばあいに、 構成要件該当性の見地からこれをさらに限定するにあたって、 行為者の主観的要素を右のような意味で顧慮することは許されないことではないと思う」(以上につき団藤重光 『刑法綱要総論〔第3版〕』〔創文社、1990年〕177頁)。

 

 

■「行為は主観と客観の統合体であるから……」

この論証について、同じく佐伯先生は次のように批判される。

 

「因果関係論は、行為と結果の間のつながりの問題であって、 行為が主観と客観の全体構造を有していたとしても、 そのことから直ちに因果関係の判断に行為者の主観を考慮すべきであるということにはならない」(前掲・ 佐伯49頁)。

 

つまり、たとえ、目的的行為論の立場から行為が主観と客観の統合体であると評価できても、 行為の構造が直ちに因果関係の構造に影響を与える訳ではない、ということである。

 

現に、目的的行為論を採用されている慶應の井田良先生は折衷説を採用されているものの、 このような行為の構造に基づいた論証を採用されていない(井田良『刑法総論の理論構造』〔成文堂、 2005年〕46頁以下参照)。

 

 

■余談?

但し、冒頭でも述べたが、学説上批判があるということと、 学生の方が答案で当該論証を用いることの当否の問題は別次元のものであると私は考えている。

 

学生の方にとってみれば、試験に合格する、あるいは試験で良い点数をとるということが至上命題である以上、答案を「効率的」 に書き上げる必要がある。

 

従って、学説上の批判が強い箇所がまさに正面から問われている問題であれば別だが、単なる前提問題に過ぎないのであれば、

 

「争いはあるものの、この問題について伝統的な見解は……と考えている。その理由は…… という点にある。これを本問に当てはめると……となる」

 

というように「流して」しまった方が効率的だろう。

 

 

つづく

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コメント

初歩的な質問ですいませんが、折衷的相当因果関係説は行為後の事情を基礎事情として取り込むことができますか。私は当然できると思っていたのですが、司法協会の出版している「刑法総論講義案」を見ると、行為当時の事情しか取り込めないというような書き方をしているので。

投稿: 初学者 | 2009年10月16日 (金) 22:40

初学者さん、コメントありがとうございます。

ご質問の件ですが、折衷的相当因果関係説では行為後の
事情を判断基底に取り込むことはできないと一般に考え
られております。

そのため、行為後に異常な事態が存在した場合の処理が
問題になります。これが現実化した一例が、いわゆる
大阪南港事件です。

投稿: shoya | 2009年10月17日 (土) 08:58

大阪南港事件は、被告人の暴行後に何者かが角材で被害者の頭頂部を数回殴打しているという事情ですよね。これは被告人が予見しておらず、通常一般人も予見できないから、判断基底に取り込めなかったということではないのですか。よく折衷的相当因果関係説の説明で、「一般人ならば認識・予見しえた事情及び行為者が特に認識・予見していた事情を基礎として、相当性を判断する」とありますが、「予見」と書いているのは行為後の事情も取り込むことを意味しているのではないのですか。

投稿: 初学者 | 2009年10月17日 (土) 17:16

初学者さん,コメントありがとうございます。

私の説明が言葉足らずだったせいで,分かりにくい内容になってしまっていたようです。
申し訳ありません。


結論から申し上げれば,本来の折衷説は,行為後の事情を判断基底に取り込みません。

後述いたしますが,現在の学説状況を踏まえれば,このように考えた方が実践的ではないかと思います。


まず,繰り返しになりますが,折衷的相当因果関係説の判断基底は「一般人ならば認識し得た事情,及び行為者が特に認識していた事情」です(裁判所職員総合研修所監修『刑法総論講義案(三訂版)』〔司法協会,平成16年〕89頁)。

言い換えれば,「折衷説……は,行為の時点において一般人・通常人の認識可能な事情をもとにして判断すべきだとし,ただ,ふつうの人にはわからなくても行為者がたまたま特別な事情を知っていたときはこれも考慮すべきだとする」見解を指します(井田良『刑法総論の理論構造』〔成文堂,2005年〕56頁)。


なぜならば,折衷説や客観説などの議論は,実は,そもそも行為の相当性(行為の危険性)に関するものだからです。
ですから,行為後の事情云々は,元々,折衷説の射程外の議論だったのです。


しかし,その後,折衷説などの議論は行為後に何かしらの事情が存在する場合にも拡大して適用されるようになりました。

その結果,折衷説の内容が変化し,「折衷説も『一般人が認識可能な事情』の中には当然行為後の事情も含まれるとしているように思われます。」(大塚裕史『刑法総論の思考方法』〔早稲田経営出版,1999年〕107頁)と説明されるようになりました。

したがいまして,初学者さんのご理解は近時の折衷説の理解としては的確だと思われます。


ですが,折衷説などの考え方では事後的に異常事態が発生した場合に妥当な解決を図ることができません。

その問題が表面化したのが,前述いたしました大阪南港事件(最判平成2年11月20日刑集44巻8号837頁)です。
折衷説の立場では,大阪南港事件の事例において因果関係を肯定することはできないはずです。ですが,判例は因果関係を肯定しました。

言い換えれば,行為後に異常事態が発生した場合の処理として,折衷説は妥当ではないと判例は判断しました。


つづく

投稿: shoya | 2009年10月18日 (日) 15:46

つづき


大阪南港事件は「実行行為と結果との間に第三者の故意行為が介在する典型的な事例」(前掲・大塚114頁)と一般に理解されています。


そして,初学者さんは大阪南港事件について,「これは被告人が予見しておらず、通常一般人も予見できないから、判断基底に取り込めなかったということではないのですか。」と質問されています。

折衷説の立場からすれば,まさに,初学者さんが仰るような結論になると思います。

しかし,判例は,結論として因果関係を肯定した上に,予見可能性云々を判示しませんでした。

むしろ,判例は,「被告人の行為後に介入したと……されている第三者の……行為の予測可能性・予見可能性の程度は問題とされず,第1現場での……暴行の危険性が第2現場での被害者の……死への現実化したことから,被告人の暴行と被害者の死との間の因果関係は肯定され,死期を若干早める程度の影響を有するに過ぎない第三者の行為が行為者の行為後に介入したことによってその判断は左右されない」とし,「因果関係判断において……介在事情である第三者の行為の予測可能性が問題とならない」という判断を示しました(以上につき,山口厚『新判例から見た刑法』〔有斐閣,2006年〕9頁)。

したがいまして,大阪南港事件の判旨につきましては,初学者さんのように理解されている方は少ないのではないか,と存じます。


そして,現在では,行為後に異常な事態が介在した場合の判断枠組みとしては,山口先生などが指摘される「行為の危険の現実化」枠組みや,佐伯先生や井田先生のご見解,前田雅英先生のご見解などが有力ではないかと思われます。


ですから,現在の学説状況を踏まえますと,行為の危険性判断につきましては従来の折衷説などの説を採用され,行為後に異常な事態が存在した場合につきましては上記のいずれかの説を採用されると良いかもしれません。


以上,長々と失礼いたしました。

投稿: shoya | 2009年10月18日 (日) 16:04

 ありがとうございました。よく分かりました。
 2回目の質問で誤って質問してしまい、「これは被告人が予見しておらず、通常一般人も予見できないから、判断基底に取り込めなかったということではないのですか。」と書いてしまいました。すいません。
 本当は、「折衷説の立場から,大阪南港事件の因果関係を肯定することが困難といわれているのは、被告人が予見しておらず、通常一般人も予見できないため判断基底に取り込めないからではないのですか」と質問したかったのです。でもそもそも一般人が予見できたか以前に、行為後の事情だから、純粋の折衷説からは取り込めないということですよね。

投稿: 初学者 | 2009年10月18日 (日) 18:51


相当因果関係のにつきまして、
ご質問させていただきますが・・・

最近では、客観説が通説だとか
いう話をお聞きしました。

そこで 質問なんですが
客観説には 「客観的に存在した事すべてを考慮する」とあるのですが
客観的に存在していた
の意味としては、

AさんはBさんの、脳の病気を知りませんでした。また、一般の人も知ることができなかった。さらには Bさん本人まで自分の病気について知らなかった場合は、
客観的に存在していないということに
なるのですか?

また、この見解についても悩んでいます
AさんはBさんに軽くタックルしました
Bさんは健康だったため何もなく普通に生活しています。

CさんはDさんにAさんと同じ力で軽くタックルしました。しかし、このときDさんは病気を持っていたために亡くなってしましました。
CさんはもちろんDさんの病気を知ることができず、また、一般の人も知ることができなかった 
もちろんDさん本人も病気だとはしりませんでした。

これは、Aさんが運が良かったように思えるのですが・・・
だって もしBさんがDさんと同じ病気を持っていたとしたらBさんもなくなっていたので
これはどういった見解になるのですか?

投稿: 阿蘇山 | 2011年4月22日 (金) 20:45

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投稿: FIGUEROA18Gena | 2012年1月 4日 (水) 06:13

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shoyaさんのblogより。 【刑法】 相当因果関係説についての覚書・その1(教えるとは希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと) http://etc-etc-etc.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_ef8a.html 国家試験や期末試験レベルでは、論理的にありえない説を除いて、どの学説をとろうが、受験者の自由だと私は考えます。 刑法の因果関係論の場合、客観的相当因果関係説を採用するか、折衷的相当因果関係説を採用するかで点数が変わることは... [続きを読む]

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