【民法】 履行利益と信頼利益について
今日は、以前にも述べたことがあるが、履行利益と信頼利益について簡単に一言。
【民法】 信頼利益 ――
瑕疵担保責任の法定責任説と関連して
http://etc-etc-etc.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_29a2.html
- 【2010年05月09日追記】 以下の拙稿の内容に対しては,某先生(極めて正統かつ優秀な先生です)のご指摘がございます。結論から申し上げれば,某先生の記事のご指摘が正しいと思います。「じゃあ訂正しろよ」という話ですが(笑),当ブログを御覧くださっている方の中には学生さんも少なくないと思われます。そして,的確なご指摘を踏まえて不適切な表現をチェックするというのは,1つの有効な勉強方法ではないかと拝察いたします。ですから,以下の記事はそのまま残しておきたいと考えております。しかし,この記事,2006年のものなんですね。時間が経つのは早い……。
■履行利益の定義
履行利益とは、「契約上の債務が完全に履行されることによって債権者が受ける利益」を言う。
尚、履行利益には「完全な履行がされれば被らなかったであろう不利益」も含まれる (以上につき、潮見佳男『プラクティス民法 債権総論〔第2版〕』〔信山社、2005年〕 79頁)。
具体的には、契約目的物である商品の交換価値や、転売利益などがこれに当たる。
■履行利益に関する注意点
冒頭で述べたように、履行利益とは「契約上の債務が完全に履行されることによって債権者が受ける利益」である。
そして、この定義からも分かるように、 履行利益は契約が有効に成立していることを前提とする概念である。
第1の注意点は、これである。
そもそも、錯誤などで契約が無効であった場合には、履行利益を請求することはできない。
この命題は、判例が採用している差額説の立場からは、比較的理解しやすいはずである(差額説については、前掲・潮見76頁以下などを参照)。
即ち、差額説によれば、履行利益とは、 「契約が履行されていたならばあるべき利益状態と、契約が履行されていない現在の利益状況との差を金額で表現したもの」 である。
そして、契約が無効である場合には、「契約が履行されていたならばあるべき利益状態」というものを観念することはできない (契約が無効である以上、契約は存在しない)。
よって、契約が無効である場合には履行利益の賠償を求めることはできない。
■信頼利益の定義
信頼利益とは、「契約が無効である場合に有効であると信じたことによって債権者が被った損害」を言う (前掲・潮見80頁)。
具体的には、調査費用、契約締結費用、契約が有効に成立すると思って銀行から借りた金銭などがこの信頼利益に当たる。
そして、この定義からも分かるように、信頼利益という概念の中身は、「損害」 である。
換言すれば、信頼利益は、「利益」を賠償させるための概念ではない。
※ 以下、若干、本題からずれた議論をする。
そもそも、現行民法に信頼利益や履行利益という文言は無い。
この2つの用語は元々はドイツ法上の用語であり、そこでは「信頼利益」 という言葉は「信頼損害」という言葉と同義である。
しかも、これら2つの用語は「『契約締結上の過失』の場合などに、 その賠償責任を一般の賠償責任より軽減しようとして、つくられた概念」である(前田達明 『口述 債権総論 第三版』〔成文堂、平成5年〕27頁)。
ここでも判例が採用している差額説の立場から説明すると、次のようになる。
即ち、信頼利益とは、 「契約が無効であることを知っていたならばあるべき利益状態と、 契約が無効であることについて知らなかったために現在置かれている利益状態との差を金額で表現したもの」である。
■履行利益と信頼利益の双方に関する注意点
第2の注意点は、潮見先生の以下の文章に端的に表れている。
「積極的利益(引用者注:履行利益) の賠償と同時にこうした消極的利益(引用者注:信頼利益) を求めることは回復を求める方向性の点で矛盾するために許されるものではない」(前掲・ 潮見81頁)
つまり、履行利益と信頼利益を同時に求めることは矛盾であり、 許されない。
何故ならば、履行利益は契約が有効に成立していることを前提とする概念であり、 信頼利益は契約が無効であることを前提とする概念だからである (定義を確認せよ)。
■具体例
では、差額説を前提として下記の問題を解いてみて頂きたい。
Xは、 Yから1000万円でゴッホの絵画を購入した。ところが、その絵画は別人のものであり、その価値は700万円であった。
Xは、Yから絵画を購入した後、 その絵画を1500万円で転売する予定だったが、別人のものであったため、転売はできなかった。
上記条件の下で錯誤無効が認められた場合、 損害賠償額(信頼利益)は幾らになるか?
また、錯誤無効が認められなかった場合、 損害賠償額(履行利益)は幾らになるか?
結論を言うと、信頼利益は「1000万円-700万円=300万円」であり、履行利益は「1500万-1000万=500万」である (1500万-700万円=800万円ではない!)
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コメント
具体例は,どこぞの文献の引用でしょうか?
設例が,通常信頼利益・履行利益の問題として紹介されるものと異なっているため,ちょっと気になりました。
まず,錯誤無効が認められた場合の損害賠償額(信頼利益)を問題にされていますが,錯誤無効が認められた場合の支払済代金は,不当利得として返還請求すべきものであり,損害賠償といわれると,ちょっと違和感を覚えます。
信頼利益の賠償とは,例えば,売買代金を銀行から借りていた場合に,その利息相当額のようなものをいうのではないでしょうか?
また,錯誤無効が認められなかった場合の損害賠償額(履行利益)となっていますが,どういう場面を想定しておられるのかが,今ひとつピンときません。錯誤無効が認められる場合と認められない場合を対置しているところから判断すると,重過失が無い場合とある場合なのでしょうか。
仮に設問後段を,重過失があって錯誤無効を主張することができない場合と解すると,損害賠償は,何を根拠に求めるというのでしょうか?
投稿: melancholy | 2006年12月21日 (木) 01:40
melancholyさん、コメントありがとうございます。
>>具体例は,どこぞの文献の引用でしょうか?
>>設例が,通常信頼利益・履行利益の問題として紹介されるもの
>>と異なっているため,ちょっと気になりました。
具体例は私のオリジナルです。
上記拙稿の説明の理解を確認するために作成したものですので、通常の設例とは異なると思います。
また、典型的な信頼利益、履行利益の説明としてはmelancholyさんがお感じになられているように、不適切だと思います(^_^;)。
>>まず,錯誤無効が認められた場合の損害賠償額(信頼利益)を
>>問題にされていますが,錯誤無効が認められた場合の
>>支払済代金は,不当利得として返還請求すべきものであり,
>>損害賠償といわれると,ちょっと違和感を覚えます。
仰るとおり、通常は、不当利得返還請求権を行使します。
試験などで錯誤無効が認められる場合には、私もmelancholyさんが仰るように構成すると思います。
では、債務不履行に基づく損害賠償請求権を訴訟物として提訴した場合、訴訟物の選択がおかしいとして不適法却下されるでしょうか?
結論としては却下されません。
もし、錯誤者(上記拙稿で言うX)が不当利得返還請求ではなく、信頼利益の賠償を求めるという行動に出たとしても、民法・民訴法は、その行動を許容します。
また、この理は、履行利益を請求できるにも拘わらず、信頼利益を請求した場合にも妥当します。
「債権者が『消極的利益』の回復に絞って『債務不履行に基づき生じた損害』として賠償請求することは、排除されるべきではない」と考えられているわけです(潮見佳男『プラクティス民法 債権総論〔第2版〕』〔信山社、2005年〕81頁)。
投稿: shoya | 2006年12月21日 (木) 17:14
続きです。
急用が入り、ご返事に間が空いてしまいました。申し訳ありません。
>>また,錯誤無効が認められなかった場合の損害賠償額(履行
>>利益)となっていますが,どういう場面を想定しておられる
>>のかが,今ひとつピンときません。
場面としては、上記拙稿にもありますように、ゴッホの絵画を購入して、それを転売する予定であったが、実際にはゴッホの絵画ではなかったために転売ができなかった、それゆえ、転売ができなかったことについての損害賠償請求を求める、という場面です。
>>錯誤無効が認められる場合と認められない場合を対置して
>>いるところから判断すると,重過失が無い場合とある場合
>>なのでしょうか。
確かに、そういう場合もあると思います。
ですが、その場合に限られるとは限りません。
例えば、上記設例は、同一性の錯誤なのか、性質の錯誤なのか、論者によっては、そもそも、その捉え方が異なります(同一性の錯誤などについては、山本敬三『民法講義I 〔第2版〕』〔有斐閣、2005年〕168頁以下などを参照)。
そして、その場合にどのような処理をするのかも、学説によって異なります。
私としては、このような見解による差異を踏まえた上で、「錯誤が認められる場合」、「錯誤が認められない場合」という場合分けを致しました。
>>仮に設問後段を,重過失があって錯誤無効を主張することが
>>できない場合と解すると,損害賠償は,何を根拠に求める
>>というのでしょうか?
根拠条文は415条になると思います。
ただ、上記のように、そもそも、「ゴッホの絵画」という事項が契約内容(意思表示の内容)に含まれるか否かについて争いがあります。
したがいまして、そもそも契約内容に含まれていない、と考える場合には415条を根拠にすることはできなくなります。
また、重過失がある場合には、過失相殺がされるので、履行利益をそのまま求めることは実際には無理と考えられます。
投稿: shoya | 2006年12月21日 (木) 19:26
詳細なコメントありがとうございます。
さらに食い下がってみようかと思います(笑)。
(1)設問前段について
>>では、債務不履行に基づく損害賠償請求権を訴訟物として提訴した場合、訴訟物の選択がおかしいとして不適法却下されるでしょうか?
>>結論としては却下されません。
錯誤無効と債務不履行を同時に主張した場合でも,それは認められるのでしょうか?
錯誤無効が認められた場合という設定がされていますので,本問では,Xが錯誤無効を主張しているものと考えられます。
この場合,錯誤無効が認められた,すなわち契約が遡及的に存在しないということになったというにもかかわらず,債務不履行というのは,論理的に矛盾するのではないでしょうか?
それとも,ひょっとして,契約締結上の過失のような論理で,信義則上の債務を認めるという処理を行うことも可能ということですか?
(2)設問後段について
錯誤無効の主張が認められなかった場合とは,錯誤部分が契約内容に含まれていなかった場合と,Xに重過失があった場合とが考えられますが,前者の場合は,shoyaさんのおっしゃるとおり,そもそも契約内容に含まれていない以上,債務不履行というものは想定できず,415条を適用することはできません。
では,後者の場合,すなわち,Xに重過失があった場合に,(過失相殺の話は別にして,)Xは債務不履行による損害賠償を請求できるのでしょうか?
Xが重過失ゆえ錯誤無効を主張できないときは,契約は有効ということになりますが,この場合の契約目的物は,「ゴッホの」絵画なのでしょうか?本件絵画なのでしょうか?
私は本件絵画が契約目的物になると考え,債務不履行が存在しないと考えたのですが,債務不履行になるということは,本件契約の目的物は,ゴッホの絵画ということになるのでしょうか?
お導きいただければ幸いです。
投稿: melancholy | 2006年12月22日 (金) 03:20
melancholyさん
熱意あるコメントありがとうございます(笑)。
>>錯誤無効と債務不履行を同時に主張した場合でも,
>>それは認められるのでしょうか?
この場合は認められません。
>>錯誤無効が認められた場合という設定がされて
>>いますので,本問では,Xが錯誤無効を主張して
>>いるものと考えられます。
申し訳ありません。
これは、私の記述に語弊があります。
そういう意味ではございませんでした。
単に実体法上無効である例として述べたつもりでしたが、不適切ですね。
>>この場合,錯誤無効が認められた,すなわち契約が
>>遡及的に存在しないということになったというにも
>>かかわらず,債務不履行というのは,論理的に
>>矛盾するのではないでしょうか?
>>それとも,ひょっとして,契約締結上の過失の
>>ような論理で,信義則上の債務を認めるという処理を
>>行うことも可能ということですか?
melancholyさんが仰るように、論理的に矛盾します。
そして、信頼利益の賠償の根拠も、仰るとおり、契約締結上の過失責任だと思います。
>>Xが重過失ゆえ錯誤無効を主張できないときは,
>>契約は有効ということになりますが,この場合の
>>契約目的物は,「ゴッホの」絵画なのでしょうか?
>>本件絵画なのでしょうか?
この問題は話し出すと若干長いため、近日中に何らかの手段でお答えしたいと思います。
現在、火急の要件を抱えておりまして……。
折角ご質問頂きましたのに、申し訳ありません。
以上、簡単ではありますが、取り急ぎ、ご返事までに。
投稿: shoya | 2006年12月22日 (金) 20:27
melancholyさん
下記URL(私の名前からもリンクしてあります)に拙稿を投稿致しましたので、もし宜しければ御覧下さい。
http://etc-etc-etc.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_6b5f.html
投稿: shoya | 2006年12月27日 (水) 23:09