【民法】 錯誤の処理についての覚書
今日は、melancholyさんから質問があったので、 錯誤の処理について、一言。
尚、以下の記述は、意思表示の解釈について客観的解釈説を前提としている(意思表示解釈については、山本敬三『民法講義 I 〔第2版〕』〔有斐閣、2005年〕163頁以下参照)。
■定義
錯誤とは、 「表意者の認識しないところで表意者の主観と現実との間に食い違いがある場合」を言う(潮見佳男『民法総則講義』〔有斐閣、2005年〕163頁)。
そして、この錯誤には、表示の錯誤と動機の錯誤の2種類があると考えられている(尚、「表示の錯誤」という用語の使い方は論者によって差異がある。「表示行為の錯誤」・「表示錯誤」 という用語が使われることも多い)。
ここに、表示の錯誤とは、「 『表示行為から推断される効果意思』と『内心の効果意思』との間に不一致があり、これを表意者が認識していない場合」を言う (前掲・ 潮見163頁)。
そして、表示の錯誤には、表示上の錯誤と、内容の錯誤がある。
伝統的見解によれば、後述する同一性の錯誤は、内容の錯誤の一種である。
ここに、同一性の錯誤とは、「相手方や物を取り違える」錯誤を言う(川島武宜=平井宜雄編『新版注釈民法(3) 総則(3)』422頁〔川井健〕)。
他方、動機の錯誤とは、 「表示行為から推断される効果意思と内心の効果意思との間に不一致はないが、意思表示をするに至った動機に錯誤が存在する場合」を言う (前掲・ 潮見163頁)。
そして、動機の錯誤には、性質錯誤と理由の錯誤がある。
ここに性質錯誤とは、「意思表示の対象である人や物の性質に関する錯誤」を言う (前掲・山本159頁)。
表示の錯誤
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├―― 表示上の錯誤(言い間違い)
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└―― 内容の錯誤(「ダース」の意味の誤解)
動機の錯誤
|
├―― 性質錯誤(これはゴッホの作品だ!)
|
└―― 理由の錯誤(理由の錯誤)
※ 上図につき、佐久間毅『民法の基礎1 総則〔第2版〕』(有斐閣、2005年)143頁。
■質問内容
Xは、Yから1000万円でゴッホの絵画甲を購入した。ところが、 その絵画は別人の絵画乙であり、その価値は700万円であった。
尚、Yは、絵画乙を売る意思であったとする。
この場合、成立した契約内容どのようなものなのか?
※ 尚、よく誤解されるところだが、契約は申込と承諾が外形的に一致していれば、 「一応」成立する(成立要件を充足する)、 という考え方が一般的である。
そして、この考え方によれば、意思表示の瑕疵・ 欠缺は有効要件の問題として処理される。
■説明
結論から言えば――大変恐縮だが――この設例文だけでは答えを出すことはできない。
つまり、場合分けをする必要がある。
即ち、Xが行なった表示行為に基づく場合分けである。
冒頭で錯誤の定義を述べたが、そもそも、 錯誤とは端的に言えば主観と客観のズレである。
したがって、錯誤の問題を検討する際には、 主観と客観、即ち、意思内容と 表示行為(表示行為内容)を確定する作業が必要になる (と伝統的には考えられている)。
ところが、上記設例では、少なくとも表示行為内容が示されていない。
そのため、場合分けが必要である。
そして、この問題を解く思考過程は次のとおりである。
第1に、この錯誤は同一性の錯誤なのか、性質錯誤なのか。
例えば、上記設例で、Xが絵画乙を絵画甲と間違えて、絵画甲を買うつもりで、「絵画乙を買う」 という表示行為をしていた場合は同一性の錯誤である。
この場合、契約は「絵画乙の売買契約」として一旦成立している(成立要件を充足している)。
但し、「絵画乙を買う」という表示行為と、「絵画甲を買う」という効果意思が一致していない以上、錯誤が認められ、 有効要件が否定される。
他方、Xが、絵画甲を買うつもりで、「この絵画を買う」という表示行為をしていた場合は性質の錯誤である。
そして、性質錯誤の場合は次の処理に移行する。
第2に、性質の錯誤であるとして、性質の錯誤は動機の錯誤なのか表示の錯誤なのか。
伝統的見解によれば、性質の錯誤は動機の錯誤である。
これはいわゆる特定物ドグマに基づく考え方である。
つまり、伝統的見解は、性質について効果意思を法的に認めることはできない(その効果意思に対して法的効力を与え救済を認めることはできない)以上、 性質についての効果意思はおよそ契約内容にならない、と考えているのである。
しかし、近時の多数説はこの特定物ドグマを否定する(現在、 この種の議論は主として瑕疵担保責任でなされている)。
そのため、近時の多数説は、ここでも特定物ドグマを否定する。
したがって、近時の多数説は、性質の錯誤と言えども表示の錯誤になり得る、とする。
■まとめ
分かりにくい説明で恐縮だが、まとめると、設例に対する解答「例」は、次のようになる。
※ 尚、あくまで解答「例」である。特定物ドグマの話だけでなく、 意思表示の解釈についてどのような立場に立つかによっても結論は変わり得る。
1. Xが、 絵画乙を絵画甲と間違えて、絵画甲を買うつもりで「絵画乙を買う」と表示した場合(同一性の錯誤の場合)
――契約内容は「絵画乙を買う」である。
したがって、錯誤無効の主張が認められる。
錯誤の主張をしない場合には、Yが絵画乙を引き渡せば本旨弁済が認められる。
2. Xが、絵画甲を買うつもりで、 「この絵画を買う」と表示した場合(性質錯誤の場合)
――契約内容は「この絵画を買う」である。
伝統的通説
性質錯誤は動機の錯誤に過ぎない以上、動機内容が要素に含まれない限り、効果意思と表示行為の不一致は認められず、そもそも、 錯誤ではない。
したがって、Yが絵画乙を引き渡せば本旨弁済が認められる。
近時の多数説
性質錯誤であっても、表示の錯誤になり得る。
つまり、性質錯誤でも表示の錯誤として95条の適用があり得る。
したがって、錯誤無効の主張が認められる。
表示の錯誤に該当するが、錯誤の主張をしない場合には、Yは絵画乙を引き渡せば本旨弁済が認められる。
結局、意思表示の解釈について客観的解釈説を採用するのであれば、「ゴッホの絵画甲」が契約内容になることは通常は無い、 ということになるものと考えられる。
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コメント
詳細な解説ありがとうございます。
しばらく民法から離れておりましたので,いい復習の機会になりました。
さて,しつこく(笑)前回の履行利益と信頼利益の問題についてお伺いします。
【問題】
Xは、Yから1000万円でゴッホの絵画を購入した。ところが、その絵画は別人のものであり、その価値は700万円であった。
Xは、Yから絵画を購入した後、その絵画を1500万円で転売する予定だったが、別人のものであったため、転売はできなかった。
上記条件の下で錯誤無効が認められた場合、損害賠償額(信頼利益)は幾らになるか?
また、錯誤無効が認められなかった場合、損害賠償額(履行利益)は幾らになるか?
設問前段については,前回のコメントでスッキリいたしましたので,今回は後段に限って質問させていただきます。
錯誤無効が認められなかった場合は,本問では,現実にYから受け取った絵画が契約目的物になると考えられます。
とすると,本問においては債務不履行を観念できない以上,実際に履行利益を損害として請求できる場合というのは,ズバリ考えられないのではないでしょうか?
投稿: melancholy | 2006年12月29日 (金) 00:18
melancholyさん、コメントありがとうございます。
>>錯誤無効が認められなかった場合は,本問では,現実に
>>Yから受け取った絵画が契約目的物になると考えられます。
>>とすると,本問においては債務不履行を観念できない以上,
>>実際に履行利益を損害として請求できる場合というのは,
>>ズバリ考えられないのではないでしょうか?
そうですね。
上記拙稿で申し上げましたように、「設例を若干変更し、かつ、伝統的通説である客観的解釈説を採用する限り」、契約内容は「その絵画を引き渡すこと」になります。
したがいまして、その絵画を引き渡せば、本旨不履行は認められません。
ですから、melancholyさんが仰るように、履行利益の請求は考えられません。
翻って考えるに、このような考え方ができる以前の拙稿の設例は、あまり良くありませんね。
粘り強いご指摘(笑)、ありがとうございました。
勉強になりました。
ちなみに、以前の記事の設例をうまく「機能」させるには、ゴッホの絵画甲の引渡しについての結果保証が契約に組み込まれるような設例にする必要がありますね。
投稿: shoya | 2006年12月29日 (金) 07:05
こちらこそ,一つの設例に異常なこだわりをみせ(笑),お手を煩わせてしまったことを恐縮に感じております。
なお,ゴッホの絵画甲の引渡しについての結果保証が契約に組み込まれる場合には,契約目的物がゴッホの絵画甲ということになるのではないか,とも思いますが,これはお聞き捨て下さって結構です。
長い間お付き合いいただきまして,ありがとうございました。
投稿: melancholy | 2006年12月29日 (金) 14:09