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2006年12月 3日 (日)

【民法】 不法行為の基礎的な思考プロセス・その3 ――過失の意義について

今日は、前回と同じく不法行為法の基礎的な思考プロセスのうち、 過失の意義について一言。

今回もやや観念的な話で恐縮だが……。

 

 

■条文

709条 【不法行為による損害賠償】
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、 これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

 

■過失の思考のポイント

過失を考えるに際しては幾つかのポイントがあるが、今回の記事との関係では、次のポイントに気をつける必要がある。

 

 

1.  誰が誰に対してどのような義務を負っているのか? そして、何故、その義務を負っているのか?

 

 

2. 過失とは何かしらの義務違反であるが、 「義務の存在」と「過失の存在」は別である。過失あり(=義務違反あり)と言うためには、当然ながら、 義務が存在していることを先に論証しなければならない。

 

 

このポイントを答案で大展開するということは無いだろうが、このことに留意していれば思考プロセスはクリアになると思われる。

 

また、特に、取引的不法行為や、商事法における不法行為責任について記述する際に、この観点からの説明が一言でもあると、 答案の印象はぐっと良くなると思われる。

 

 

■過失とは?  ――意義

過失とは何か?

この問題について、現在の判例・通説は、次のように説明する。

 

 

即ち、過失とは、「『結果発生の予見可能性がありながら、 結果発生を回避するために必要とされる措置(行為) を講じなかったこと』(結果回避義務違反) 」である(潮見佳男『基本講義 債権各論 II 』〔新世社、2005年〕27頁)。

 

 

このような判例・通説の見解は、客観的過失論、 または行為義務違反説などと呼ばれる。

そして、この行為義務違反説の特徴は、結果回避義務違反という客観的義務違反をもって過失としている点にある

 

 

他方、かつては、過失の意義について次のような見解が有力であった。

 

 

即ち、過失とは、意思の緊張を欠いた不注意により、 結果発生を予見しなかったこと(予見義務違反) である、という見解である。

 

 

この見解は我妻先生が唱えられたもので、主観的過失論、 または予見義務違反説などと呼ばれる。

そして、この予見義務違反説の特徴は、予見義務違反という加害者の主観的義務違反をもって過失としている点にある

 

 

尚、この過失の意義を学ぶに際しては注意すべき点が3つある。

 

第1は、かつての有力説たる予見義務違反説といえども、完全に客観的事情を無視している訳ではないということである。

 

即ち、予見義務違反説は、予見義務――求められる注意の程度の基準――を設定する際に、社会通念を取り込んでいる。

そのため、義務設定のレベルでは客観的事情を考慮しているのである。

 

 

第2は、行為義務違反説と、予見義務違反説とで結論に差が出ることはほとんど無いということである。

 

勿論、不法行為論においては様々な見解があり、完全に結論が一致するということはまず無い。

しかし、大半の問題では、行為義務違反説を採用するか予見義務違反説を採用するかによって、 論理必然に結論に差が出るということはほとんど無い。

 

むしろ、両説で差が出るのは、過失の帰責原理である。これはすぐ後で述べる。

 

 

第3は、行為義務違反説と予見義務違反説では過失の帰責原理が異なるという点である。

 

予見義務違反説から説明すると、この見解における帰責原理は、 批判はあるものの意思責任であるとされている。

 

ここに意思責任(意思理論)とは 「全ての人は自由な意思を持ち、意思のみが自己を法的に拘束するという理論、すなわち、 ある人が義務を負うのはその人の意思に根拠があるという考え方」を言う(吉村良一『不法行為法〔第2版〕』〔有斐閣、2000年〕8頁)。

 

そして、この考え方を不法行為に敷衍すると、「故意・過失という意思において非難されるべき要素が賠償義務を負うこと、つまり、 帰責の根拠となる」のである(前掲・吉村8頁)。

 

他方、判例・通説が採用する行為義務違反では、少なくとも過失について意思原理を採用することはできない。

何故ならば、意思原理を採用するには、意思の作用が本質として必要であるところ、行為義務違反説によれば、 過失の本質は結果回避義務違反という客観的義務違反だからである。

 

そのため、多数説は、過失の帰責原理は信頼原理である、とする。

※ ちなみに、 信頼原理と信頼の原則は別物である。信頼原理は帰責の根拠であり、過失の存在を肯定するための原理である。他方、信頼の原則は、 他人の行動に対する信頼を正当化することによって過失の存在を否定するための原則である。

 

即ち、「共同体社会において、 共同体の構成員である個々人は互いに他者が合理的な行動をとるであろうと信頼して生活を営んでいるのですから、 個々人は互いの信頼を裏切らないように行動しなければ、共同体社会はうまく成り立っていきません。そこで、国家は、 こうした共同体社会の信頼を裏切る行動をしないように、個々人に対し、社会生活をおくるにあたりとるべき行動を義務づけているのです。 この国家により課された行為義務に対する違反、すなわち、共同体の構成員からの信頼を裏切るような行動が、過失と評価されるのです」 (前掲・ 潮見29頁)。

 

 

若干応用的な話をすると、多数説の上記の説明には題が無い訳ではない。

 

即ち、信頼原理は、義務遵守に対する人々の信頼があるから義務がある、としているのであるが、 これは論理が若干、飛躍している。

何故、義務遵守に対する人々の信頼があれば義務があるのか?

また、仮に信頼があれば義務があるとしても、そもそも、どのような信頼が義務の存在を正当化するのか?  不法行為法で保護に値する信頼とは何なのか?

 

ただ、上記の問題についての解答は、もはや不法行為法学の問題というよりは、法理学・法哲学の問題に近い気もする。

 

 

閑話休題。本題に戻る。

冒頭で述べたように、過失(=義務違反) ありというためには、まず、義務が存在するということを言わなければならない。

 

そして、行為義務違反説の立場に立って議論をする際には、明文で義務が定められている場合はともかく、それ以外の場合は、 信頼原理の観点から義務が存在することを確認する必要がある

※  答案で書く必要があるか否かは問題による。

 

 

■まとめ

● 大前提

過失あり(=義務違反あり)と言うためには、 まず義務が存在することを述べなければならない。

 

● 判例・通説

過失 = 結果回避義務違反

帰責原理 = 信頼原理

→ 信頼原理の観点から見て義務があるか否かを考える必要がある。

 

つづく

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