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2007年2月10日 (土)

【余談】 法曹に教養は不要か?

 

■FJneo1994さんの記事

FJneo1994さんが、興味深い記事を書かれておりました。

 

企業法務戦士の雑感 - 振り回される大学教育に同情す。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070208/1171077053

 

上記記事の主題は、大学教育への過度の期待は不適切である、という点にあると考えられます。

 

ですから、下記引用部分は、主題部分ではありません。

 

ですが、興味深いものですので、引用させて頂きます。

 

 

「裁判官に必要な人間性が、古典を読むだけで得られるのであれば、苦労はしない。 閉鎖された空間で培われた『教養』や『職業意識』は、特権階級としての偏屈なプライドにもつながりかねないものでもある」。

 

 

上記引用部分の文意がどこにあるのかは、正確には読み取れません。

 

ただ、私が読む限り、FJneo1994さんの文意は、

 

「教養に人間性の養成を求めるのは不適切である」。

 

という点にあるように思われます。

 

 

 

■法曹に教養は不要か? 教養を重視しなければうまくいくのか?

さて。

 

法曹に教養は不要なのでしょうか?

 

 

私は、と答えます。

 

 

 

■教養は害悪に繋がるのか?

「裁判官に必要な人間性が、古典を読むだけで得られるのであれば、苦労はしない。 閉鎖された空間で培われた『教養』や『職業意識』は、特権階級としての偏屈なプライドにもつながりかねないものでもある」。

 

確かに、FJneo1994さんが仰るように、古典を読むことは、裁判官に必要な人間性養成の十分条件ではありません。

 

したがいまして、私も、古典を読めばそれで事足りるという主張は説得力に乏しいと思います。

 

ですが、古典を読むことは本当に害悪に繋がるのでしょうか?

 

もちろん、「閉鎖された空間で培われた『教養』や『職業意識』は、特権階級としての偏屈なプライドにもつながりかねないものでもある」 というFJneo1994さんの主張――慎重に言葉を選ばれた主張です――自体は正しいと思います。

 

差別化(区別)は、一定のグループにしか存在しない要素に価値を見出すことから始まります。

 

特に、「その要素を有していない集団=劣っている集団」という評価を伴う差別化は、「特権階級としての偏屈なプライド」 に至る危険性を孕んでいます。

 

しかし、古典の読書によって得られる教養が、直ちにそのような差別化に至るとは私には思いにくいのです。

率直に申し上げて、教養が害悪に繋がるという論拠がどこにあるのか、私には分かりません。

 

私はいわゆる”教養主義”が尊重された時代を実体験しておりませんので、だからこそ、このような考えを持ってしまうのかもしれません。

 

 

 

■大切なことは古典を読もうとする姿勢ではないのか

私は、やはり古典の読書などによって培われる教養――別に教養の修得方法は読書に限られませんが――は現在でも必要だと思うのです。

 

そもそも、古典が古典たり得るのは、そこに何かしらの価値があると先人が判断してきたからです。

 

換言すれば、古典には多くの時代に妥当してきた知恵、 普遍的と言って良い知恵が含まれていると判断されてきたからこそ、古典は古典たり得るのです。

 

もちろん、時代に合わなくなる古典もあるでしょうし、現代の人々の興味を惹かない書籍もあるでしょう。

興味を惹かない書籍を無理に読むには人生は短すぎます。

 

しかし、他方で、全ての古典がまったく無意味になったとは考えにくいのです。

 

むしろ、今でも妥当する知恵が古典にはあると思います。

 

そして、この知恵は、法曹であっても必要だと思います。

 

この知恵が、上記記事にあるような裁判官に必要な人間性の養成に直接繋がるとは限りませんが、古典の伝える知恵の中には、 人間の本質についての鋭い洞察も含まれています。

 

そうであれば、古典の読書は必要なのではないでしょうか。

 

 

また、自信は無いのですが、現在の問題は、古典を読んでいないという点にあるのではなく、古典を読もうとする姿勢に欠けているという点にあるのではないでしょうか?

 

つまり、古典を読むということは、先人の知恵を学ぶということです。

そのような姿勢が認められない点に問題点があるのではないかと私は思います。

 

繰り返しになりますが、そもそも、古典を読むことの目的は、そこに刻まれている先人の知恵を学ぶという点にあります。

 

したがいまして、先人の知恵を学べるのであれば、何も古典の読書という手段に拘泥する必要は無いはずです。

 

その意味で、古典の読書は不可欠ではないが、教養は必要だと、私は思います。

 

以上、駄文失礼。

 

 

【追記】

企業法務戦士の雑感 - 「教養」と「現実」の狭間
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070211/1171133781

拙稿についてのコメントをFJneo1994さんから賜りました。

わざわざコメント頂きまして、ありがとうございました。

 

その中でも

 

「まぁ、そもそも『教養』の定義すらはっきりしない状況で、あまり論じても始まるまい、ということで、細かいことはまたいつか、 機会があったら書くことにしたい」。

 

というご指摘は、実に的を射た指摘でして、自分の未熟さに冷汗三斗です。

 

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