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2007年5月13日 (日)

【民法】 平井宜雄先生のお言葉

 

調べ物の関係で、平井宜雄先生の名著『債権総論〔第2版〕』弘文堂、平成8年部分補正)を拝読していたところ、初版のはしがきに印象的な文章がございましたので、ご紹介いたします。

 

「学説上解釈が分かれる問題については、できるだけ私の考えを示すように務めた」。

 

「初学者に対してはまず自分の頭で考えるように説くべきであって、教師は私見を述べるのを差し控えるべきだという考え方には、もちろん十分の根拠があるであろう」。

 

「また、およそ教科書の役割は、甲説乙説というがごとき解釈論のカタログを増やすことにあるのでなく、裁判所において現実に妥当している規範を認識し、学生にそれを伝達することにつきる、という考え方も成り立つであろう」。

 

「しかし、私の経験によれば、解釈の分かれる理由や学説の現状というような客観的な説明とともに、教師が自分なりの見方を提示するならば、それが1つの見方であることに注意が払われているかぎり、学生の知的関心をもたらすことが稀ではない。熟していないことを承知で、多くの点で敢えて私見を示したのは、このような配慮にもとづくものである」(以上につき、前掲・平井 はしがき4頁)。

 

私の学生時代を振り返りますと、確かに、色々な講義方法がございました。

 

自説を全面的に押し出す先生方もおられましたし、自説の展開を控え目にされる先生も勿論おられました。

 

教育方法としてどれが客観的に効率的かということは分かりませんが、私自身は、平井先生が仰っている方法を好みます。

 

また、当時の私の周囲の人間――ごくごく狭い範囲の人間ですが――を見ても、学び始めは、先生方の頭の中にある1つの体系をそのままなぞって行く、言わば”まねる”方法が優れていたのではないか、と思います。

 

 

もちろん、この方法は、ともすれば、先生のご説明を金科玉条のごとく盲信する結果になりがちです。

 

「ことごとく師を信ずれば師なきに如かず」という平野龍一先生のお言葉がそのまま当てはまることになりかねません。

 

難しいものですね。


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