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2008年3月 9日 (日)

【余談】 法解釈の必要性

 

葉玉先生の以下の記事を拝読して、法解釈――というか法解釈に関する議論――の必要性について、ふと思ったことがございましたので、 筆をとってみました。

 

会社法であそぼ。: 違法配当無効説は立法論?
http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_b8c2.html

 

 

 

■葉玉先生のご主張

上記記事の中で葉玉先生は次のように仰っています。

 

「私は、無効説は

  『会社法の文理に反する』

という一点において、どうしても容認することができません。

 会社法は、現代の法制執務に基づいて作られた法律です。したがって、 会社法の条文を解釈する場合においても、明治時代から昭和初期にかけて制定された法律とは、自ずと条文の読み方が異なります。

 

おおすぎ先生は、

  『461条1項の「効力を生ずる日」とか463条1項の「効力を生じた日」 という文言は、有効説の論拠とまではいえないでしょう。』

と言われますが、そうではないでしょう。

はっきりいって、『効力を生じた日』という文言を、 無効説の立場から解釈しようとすると、『立法上の過誤である』というしかないと思いますが、それは『立法上の過誤』ではなく、『解釈の過誤』 なのです。」。

 

葉玉先生のご主張を、かなり荒っぽくまとめると、

 

「文言を重視せよ」

「文言と解釈が"合わない"場合は文言がおかしいのではなく解釈がおかしい」

 

ということになります。

 

 

 

■文言を重視せよ

第1の「文言を重視せよ」という主張は、的確な主張だと私は思います。

また、大半の先生方や実務家もこの主張に異を唱えることはないと思います。

 

以前にも述べたことがありますが、司法府の一員は原則として立法府の制定した法律に従わねばなりません。

条文の文言は、まさにその立法府からのメッセージです。

 

拙稿: 【法律学の基礎】  法解釈の基本姿勢
http://etc-etc-etc.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_7db3.html

 

 

更に、会社法のように多数の利害関係者が存在する世界では、紛争予防のためにも、紛争解決のためにも、 利害関係を調整するルールが必要不可欠です。

 

そして、実際の社会の仕組みとしては、紛争を解決することよりも、予防することの方が重要です(通常は、 予防の方が社会的コストを有効に活用できます)。

 

とすれば、会社法の条文は行為規範としての役割が比較的強く期待されます。

したがって、条文の文言は可及的に文理のまま解釈・適用される必要があります。

 

※ ついでに言うと、学生の方が解釈論を勉強をする際においても、 最も重要なのは条文です。最初に理解すべきは1に条文、2に判例……です。

 

 

 

■文言は解釈に優先する?

葉玉先生の第2の主張(を荒っぽくまとめたもの)は、「文言と解釈が"合わない"場合は文言がおかしいのではなく解釈がおかしい」 というものです。

 

しかし、私は葉玉先生の第2の主張は、(特にネットの世界では)誤解を招きかねないのではないか、とやや危惧しております。

 

 

以前にも述べたことがありますが、「そのまま直接適用できる条文があり、かつ、結論が妥当」であれば、論点が発生することはなく、 条文解釈を施す必要性はありません。

 

この命題の裏命題が妥当する場合だからこそ、論点が発生し、条文解釈を施す必要があります。

 

拙稿: 【法律学の基礎】  答案の問題提起と条文
http://etc-etc-etc.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_a81b.html

 

したがいまして、たとえ近時に制定された会社法であろうと、結論が妥当でなければ解釈を施す必要性があり、 立法上の過誤が認められる可能性はあると思います。

 

確かに、

 

「会社法は、現代の法制執務に基づいて作られた法律です。したがって、 会社法の条文を解釈する場合においても、明治時代から昭和初期にかけて制定された法律とは、自ずと条文の読み方が異なります。」。

 

という指摘は的を射たものだと思います。

 

ですが、明治時代から昭和初期に制定された法律であろうと、現代の法制執務に基づいて作られた法律であろうと、 どちらも法律である以上、解釈の必要性があれば粛々と解釈は行われるはずです。

 

そんなことはないと思いますが、もし、仮に、葉玉先生が「制定直後の期間においては、立法上の過誤は観念できず、 文言に反する解釈が過ちである」という主張をされるのであれば、それは立法者としての自負心に基づく主張ではないかと私は思います(実際、 会社法は膨大な労力を注がれて制定されたものだと思います)。

 

 

■結局、立場の違い?

とは言え、葉玉先生ご自身も

 

「私は、本音ベースでいえば、違法配当が有効だろうと無効だろうと、 どちらでもいいんですが」。

 

と仰っていることからも分かるように、違法配当の有効・無効は多くの場合、現実的結論に大きな差をもたらしません。

 

したがいまして、"現場"は、この論点についての解釈を求めていないと思います。

 

結局、この問題は、立法者と研究者の立場――「信念」と言うべきかもしれません――の違いに由来する、 多分に"思想"的な論争だと評価することができるのかもしれません。

 

 

 

■リンク

いとう Diary ~ academic and private:分配可能額規制違反の効力
http://blog.livedoor.jp/assam_uva/archives/50548174.html

 

おおすぎ Blog:財源規制違反の剰余金分配 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/leonhardt/archives/50529456.html

 

カブトムシ : だいたひかる的に
http://espans.exblog.jp/7508570/

 

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