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2008年5月 1日 (木)

【刑訴】 おとり捜査の誤解されやすい点について

先日もお伝えしましたが、5月――新旧司法試験の季節――ということで、当ブログの本来のネタである法律系の記事をできるだけお伝えしていきたいと考えております。

 

と言っても、いつ弾切れになるかは分かりません(^_^;)。

 

期待されている方も少ないとは存じますが、どうぞ、期待せずにお待ちくださいませm(__)m。

 

 

という訳で、今日は、以前、質問を受けたことがある、おとり捜査の誤解されがちな点について、一言。

 

 

■定義

おとり捜査とは、

 

「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働きかけ、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙する」捜査方法(最判平成16年7月12日刑集58巻5号333頁)

 

を言います。

 

 

 

■解説

おとり捜査については、刑事訴訟法上に明文が無いために、その適法性が問題となります。

 

具体的には、

 

(1) おとり捜査は強制処分か否か

(2) 任意捜査であるとすればその限界はどこにあるのか

 

が問題になります(他にも197条1項本文は将来発生する犯罪の捜査を許容しているのか、という論点が一応あります)。

 

 

 

■おとり捜査は強制処分か

強制処分の定義については争いがありますが、判例の定式(井上正仁先生の分析)に従えば、

 

(1) 相手方の意思を制圧しているか

(2) 相手方の身体、財産、住居などの重大な権利や利益を侵害しているか

 

がメルクマールになります。

 

そして、おとり捜査には相手方の意思の制圧という要素がありませんので、上記(1)の要件を充たしません。

したがいまして、おとり捜査は、強制処分ではありません。この点については、現在ではほとんど争いがないのではないかと思います。

 

 

尚、注意していただきたいのは、(2)の要件に関連する事項です

 

すなわち、多数説によれば、おとり捜査の主たる問題点――違法性の所在――は、相手方の権利や利益侵害にあるわけではありません(反対は人格的自律権を問題にされる三井誠先生など)。

 

多数説は、おとり捜査の違法性の実質を

 

「国家が犯罪を創り出し、その結果、刑事実体法によって保護される法益(引用者注:国民一般の法益)を侵害する」点

および

「本来犯罪を抑制すべき捜査機関がトリックを用いて犯罪を惹き起こすという矛盾を伴う点」

 

に求めています(以上につき、松尾浩也=井上正仁編『刑事訴訟法判例百選[第7版]』〔佐藤隆之〕27頁)。

 

ですから、この意味でも判例の強制処分の定義には該当しない、ということになります。

 

 

 

■おとり捜査の二分説の言う「犯意」

おとり捜査については、従来、二分説と呼ばれる見解が有力でした(現在では東京高裁の池田修先生などが主唱されている必要性・相当性枠組みの方が有力だと思います)。

 

ここにいう二分説とは、任意処分としてのおとり捜査の限界を画定するための規範として、

 

「もともと犯意のなかった者に積極的に犯意を誘発させて犯罪に導く場合(犯意誘発型)は違法であり、もともと犯意を有していた者につきその犯意を強化しあるいはその現実化の機会を提供したにすぎない場合(機会提供型)は適法だとする」(長沼範良ほか『演習刑事訴訟法』〔有斐閣、2005年〕176頁〔田中開〕

 

見解を言います。

 

そして、よく誤解されがちなのですが、典型的な二分説の場合、ここで言う「犯意」とは単純な犯罪実行の意思を意味するわけではありません

 

修正されたけ見解の場合は別ですが、典型的な二分説の場合、「犯意」とは

 

「事前の犯罪的傾向、犯行の素地」

 

を意味します(前掲・佐藤26頁)。

 

印象付けるために、誤解を恐れず極端に言えば、ここでいう「犯意」とは、犯罪的人格のことです。

 

ですから、いわゆる犯意誘発型のおとり捜査は滅多に存在しません。

これは、捜査機関が文字どおりの「善良な市民」を犯罪者に堕落させるような場合を意味します。

 

この理解を前提にすれば、犯意誘発型のおとり捜査は、たとえ明文があっても許容されません

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