【憲法】 処分に関する違憲審査基準について・その2
今日は、処分に関する違憲審査基準の目的審査について、一言。
前回の記事から随分時間が経ってしまいましたが、 当ブログを御覧になってくださっている方々から暖かいご要望を頂戴いたしましたので、経年を気にせず(笑)、 書かせていただきたいと思っております。
尚、今回も相変わらず偉そうな論調で文章を書いておりますが、私は憲法の専門家では全くございません。
したがいまして、今回の記事も参考程度にご笑覧いただければ幸いですm(__)m。
■違憲審査の基本は比較衡量
そもそも、違憲審査基準という判断枠組みを用いて行われている作業は、要するに、比較衡量(利益衡量)です。
そして、
「違憲審査基準としての比較衡量とは、人権の制限によって得られる利益と、人権の制限によって失われる利益を比較衡量し、 前者が大きい場合には人権の制限を合憲とし、後者が大きい場合には人権の制限を違憲とする判断方法」 (野中俊彦ほか『憲法 I (第3版)』〔有斐閣、 平成13年〕242頁以下)
を言います。
この比較衡量は”最大多数の最大幸福”という民主主義の基本構造に合致しており、直感的に分かりやすく、説得的な基準と言えます。
ジェレミ・ベンサム -
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%A0
ですが、比較衡量には幾つかの問題があります。
第1に、そもそも人権(基本権)という権利は、多数決によっても侵し得ない権利である以上、 多数の者の幸福に資するからといって(比較衡量で是という結論が出たからといって)、直ちに人権制約を正当化し得るわけでありません。
芦部先生も、
「比較衡量論は……概して、国家権力の利益が優先する可能性が強い、 という点に根本的な問題がある」(芦部信喜『憲法 新版補訂版』 〔岩波書店、1999年〕 99頁)
と述べられています。
第2に、この第1の問題をクリアしようとすれば、 比較対象となる2つの利益を共に同レベルのものにする必要があります。 換言すれば等価値の人権同士を比較衡量すれば第1の問題はクリアできるはずです。
しかし、
「得られる利益と失われる利益の大きさを比較するためには、 それぞれの利益を同じレベルで捉える必要があるが、何が同じレベルに属するかは常に自明というわけではない」(高橋和之『立憲主義と日本国憲法』〔有斐閣、平成17年〕113頁)。
という問題があります。
そして、これらの問題点を克服するために考え出されたのが、被制約権利の性質に応じた類型的な判断枠組みです。この判断枠組みの内容については様々な見解がありますが、 最大公約数的に述べれば、
(1)厳格な審査基準
(2)厳格な合理性の基準
(3)合理性の基準
という3つの基準が支持されています。
言うまでもなく、これら3つの判断枠組みの特徴は、公権力による人権制約の目的と手段の2つの点に着目するという点にあります。
したがいまして、冒頭にも申し上げましたが、いわゆる目的・手段審査とは、比較衡量を適切に行うために類型化された審査に過ぎません。
■では目的審査では何が行われているのか?
では翻って考えるに、目的・手段審査の「目的審査」では一体、どのような思考処理が為されているのでしょうか?
この問題について、高橋先生は次のように明快に説明されます。
「目的審査においては、一方において、制限される人権の性格や重要性などが、他方において、制限によって得られる利益(政府利益と呼ばれる) の性格、重要性などが検討され、両者が比較衡量される。立法目的が憲法上許容されるもので、かつ、一定以上の重要性 (その程度は事件の類型に応じて異なりうる)をもつものであれば、目的審査はパスする。」(高橋・前掲114頁)
そもそも、公権力による人権制限が為される理由は、一定の害悪の発生を防止するという点にあります。
要するに、公権力の行為の問題性は害悪発生を防止するという点にあるのではなく、 その害悪発生防止行為によって何かしらの人権が制約されるという点にあります。
そして、目的審査では、 この害悪発生防止行為の必要性を憲法的観点から見て判断するという作業が為されます。
つまり、目的審査では、ある人権を制約してでも当該害悪の発生を防止することが、憲法的価値観から見て「必要不可欠(やむにやまれぬ) 」か、「重要」か、「正当」かという判断が為されます。
前回の記事でも書きましたが、例えば、都道府県が不衛生な飲食店に対して営業停止処分をしたとします。
この場合、都道府県は、客の生命・身体に対する侵害や病気の蔓延などという害悪を防止するために、営業停止処分を下し、 当該飲食店の営業の自由を制限しています。
したがいまして、この営業停止処分が合憲か否かを判断するためには、営業の自由を制約してでも客の生命・ 身体に対する害悪発生防止措置を採ることが「必要不可欠」or「重要」or「正当」と言えるかという判断を経る必要があります。
このような思考処理が為されるのが、目的審査です。
但し、前述のように、このような判断――いわゆる”裸の利益衡量”をそのまま行うことは困難です。
そのため、現在では一般に、被制約利益(上記の例では営業の自由)の性質に着目した類型的な処理が為されます。
そして、このような類型的処理の代表例が、いわゆる二重の基準論です。
■目的審査を的確に行うためには?
目的審査が上記のような
(1)対立利益を
(2)類型的に比較衡量する
判断枠組みであるとすれば、「誰のどのような利益と誰のどのような利益が対立しているのか」 という点を明らかにする必要があります。
学生の方の答案を拝見していると、この点が曖昧なまま議論を進められていることがあります。
もちろん、曖昧なままでも正確な論理を展開されているのであれば問題は少ないです。
しかし、対立利益の把握が曖昧な方は、対立利益とは無関係な事情をも考慮してその後の論理(特に手段審査の論理) を展開することが少なくありません。
ですから、まずは目的審査においては、対立利益の把握を心掛けてください。
つづく?
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コメント
大変お忙しい中、早々のご投稿ありがとうございます。まさか、こんなに早くご投稿頂けるとは…油断しておりました(笑)
早速しっかり読み込ませて頂きます。
shoyaさん、本当にありがとうございましたm(__)m
投稿: Don | 2009年2月19日 (木) 16:35
shoyaさんありがとうございました!
高橋先生の書籍の該当部分と照らし合わせながら読ませていただきます!
投稿: noby | 2009年2月19日 (木) 18:17
Donさん、nobyさん、コメントありがとうございます。
碩学の方々からすれば、拙稿は突っ込みどころ満載な上に
有意義な記述は引用部分にしかないというご叱責を頂きそうな
内容ですが、何かしらのお役に立てれば望外の喜びです。
投稿: shoya | 2009年2月23日 (月) 20:13
いつも拝見しています。有意義な記事ありがとうございます。
質問なのですが、違憲審査基準というのは裁判所の判断基準として答案に書くことなのでしょうか?
つまり、原告や被告は自らの主張をする時に、違憲審査基準を定立し、あてはめるというような訴訟のやり方をするのでしょうか。試験ではそう書いているのですが、実際の事案で原告が違憲審査基準を定立して、自らの主張を理論づけるような裁判例をみたことがないので疑問に思ったのです。 お忙しいなかすみませんが、よろしくお願いします。
投稿: 侍 | 2009年3月 5日 (木) 23:43
侍さん、コメントありがとうございます。
>>質問なのですが、違憲審査基準というのは裁判所の
>>判断基準として答案に書くことなのでしょうか?
答案には書くべきだと思われます。
理由は2つございます。
第1に、違憲審査基準は法的三段論法の一部(「大前提」
たる法律が変形したもの)である以上、答案に記す必要
があると考えられるからです。
また、先日公開された公法系のヒアリングでも次のように
述べられています。
「答案を採点して気が付いたのは,第一に,法的三段
論法が身に付いていないと言わざるを得ない答案が
余りにも多かったことである。こういう事案である
から,この規範が問題になり,この規範はこのような
理由でこんな内容になっている。そして,この規範を
事案に当てはめてみると,この事実があるから
この規範が適用できてこの効果が出てくるという形が
整っていない,というか,意識していないような
答案が多い。
思い付いた規範から書きなぐったり,重要な事実の
検討・当てはめを飛ばしたまま,全体として何の
論理も理由もなく,あるいは淡白な理由で結論を
導いている答案が多かった。」。
第2に、違憲審査基準は自己の分析の論理構造を
より明確にします。つまり、裸の利益衡量は多分に
主観的判断に陥る危険性を有していますが、
違憲審査基準を用いれば客観的に判断できる”可能性”が
向上します。
投稿: shoya | 2009年3月 6日 (金) 19:57
丁寧なご回答ありがとうございました。参考になります。
判例集を読むと、原告が憲法上の主張をする際に、違憲審査基準を定立したものをみたことがありません。これは何故でしょうか。論文答案を書く時には原告の主張の際に違憲審査基準を立て、検討するのが一般的だと思うのですが。繰り返しの質問ですみませんが、よろしくお願いします。
投稿: 侍 | 2009年3月 7日 (土) 00:29
侍さん、コメントありがとうございます。
そして、ご返事が遅れまして大変申し訳ございません。
さて、ご質問の件ですが、申し訳ございません、憲法が実際に
問題になった訴訟に触れたことがないために、なぜ、判例集の
原告が違憲審査基準を定立していないのか(それとも単に判例
集掲載の事案の原告がたまたま定立していなかっただけなのか)
については寡聞にして存じ上げません。
折角、わざわざコメントいただいたにもかかわらず、申し訳ご
ざいません。
ちなみに、バベルさんのように憲法にお詳しい方であればお分
かりかもしれません(>_<)。
投稿: shoya | 2009年3月16日 (月) 20:15
ご回答ありがとうございます。
こちらこそ、お礼が遅れて申し訳ありませんでした。
合憲性判定基準というのは、対立利益を考慮した上で定立されるものだと考えています。
とすれば、原告は、自身の利益のみを主張すれば良いのであるから(対立利益に配慮する必要なし)、訴訟上、合憲性判定基準を定立する必要がないのかもしれません。
以上はあくまでも推測に過ぎないのですが、この推測が正しいとしたら、新司法試験における原告・被告の主張の論述においては、合憲性判定基準を定立する必要がないのかな…とも思っています。
駄文失礼しました。
投稿: 侍 | 2009年4月27日 (月) 13:19
侍さん、コメントありがとうございます。
新司法試験の答案における違憲審査基準の定立に関してですが、門外漢の私の個人的な意見としては原告・被告の主張の部分でも定立する必要はあるのではないかと思います。
理由は2つございます。
第1に、先日発表されました公法系の試験委員の先生方に対するヒアリングで次のように述べられており、規範定立はやはり重要ではないかな、と考えられるからです。
換言すれば、規範定立の無い主張は法的主張として受け入れがたいという感覚が考査委員の先生方の共通認識ではないかと思われます。
「答案を採点して気が付いたのは,第一に,法的三段論法が身に付いていないと言わざるを得ない答案が余りにも多かったことである。こういう事案であるから,この規範が問題になり,この規範はこのような理由でこんな内容になっている。そして,この規範を事案に当てはめてみると,この事実があるからこの規範が適用できてこの効果が出てくるという形が整っていない,というか,意識していないような答案が多い。
思い付いた規範から書きなぐったり,重要な事実の検討・当てはめを飛ばしたまま,全体として何の論理も理由もなく,あるいは淡白な理由で結論を導いている答案が多かった。もしかすると,時間がなくて省略したのかもしれないが,それが非常に気になった点である。」。
第2に、これまでの新司法試験の問題等を拝見しておりますと、新司法試験では学説の知識ではなく、事案の多角的分析力が試されていると考えられるからです。
第3回新司法試験の問題が典型的ですが、実際の紛争では、
事実がどうであったか(事案の確定)
ということと、
事実が確定されたとしてその事実をどのような紛争であると評価するか(紛争類型の確定)
ということが重要になります。
司法試験では事案の確定自体は終了しています。問題文に書かれている事実を所与の前提とすれば良いわけです。
ですが、その事実をどのような紛争と評価するかはまた別の次元の作業です。
第3回新司法試験の問題に即して言えば、当該事件は表現の内容規制なのか、それとも表現の場所や方法等だけを制限した中立的規制なのか。そのような紛争類型の確定は受験生が――原告・被告・裁判所のそれぞれが――行わなければなりません。
※ 恐らく、考査委員の先生方は、原告・被告・裁判所の全員が表現内容規制という土俵に立って、原告は内容規制に関するA説、被告はB説、裁判所はC説……という答案を期待されているわけではないと思います。むしろ、この紛争類型の確定を受験生に期待しているのではないかと思われます。
そして、この紛争類型の確定作業を行うに際しては、どのような事実に着目し、その事実をどう評価するか、その着目と評価が正当化される理由は何か、ということを説得的――つまり、憲法の体系及び従来の判例から演繹的――に答案に記述する必要があります。
この紛争類型の確定と違憲審査基準は基本的にはセットになっています。
大雑把に申し上げれば、表現内容規制であれば厳格な審査基準になりますし、内容中立規制であれば厳格な合理性の基準になります。
違憲審査基準は紛争類型の確定の結論を示すものとも言えます。
ですから、やはり違憲審査基準は原告・被告においても定立された方が良いのではないか、と個人的に考えております。
投稿: shoya | 2009年4月29日 (水) 18:13